大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和32年(う)565号 判決

控訴人 被告人 森口叢

弁護人 徳岡一男 外一名

検察官 曽我部正実

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人徳岡一男及び同迫水久常共同作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は、次のように判断する。

弁護人の論旨第一点について、

被告人が原判示のように昭和二十七年十月三日頃から昭和二十八年二月二十六日頃まで栃木県下都賀郡間々田町所在栃木県農業協同組合連合会厚生連合会下都賀病院間々田診療所(以下診療所と略称する。)の所長として勤務していたことは証拠上明らかであり、又右診療所は右厚生連合会が医療法に準拠して知事の許可を得て開設したもので、被告人は診療所長として医療法に基いて右診療所の管理者となり、開設者たる前記組合連合会に代つて右診療所に勤務する医師、薬剤助手、看護婦その他の従業者を指揮監督し、右診療所の構造、設備、医薬品その他の物品等を保管する職務権限を有していたことも所論のとおりである。(医療法第十条第十五条第十七条、同法施行規則第十四条第十五条等参照)

しかしながら、本件当時施行されていた麻薬取締法(昭和二十三年七月十日法律第一二三号。原判決の法律適用において昭和二十五年法律第一二三号と判示しているのはこの誤記であることが明らかである。)の関係法条第二条第四十二条第四十三条等の規定を参照しながら、本件関係証拠(特に原審における証人大島利三、同青木幸子、同小林英一、同神山貞二の各証言、被告人本人の供述)を検討するに、右診療所における麻薬の管理は、昭和二十七年三月頃までその所長であり且つ内科の診療を担当していた若曾根某が免許を得て麻薬管理者及び麻薬施用者としてこれに当り、その下に産婦人科と外科の診療を担当する医師大島利三が麻薬施用者の免許を得てその施用をしていたのであるが、前記日時頃右若曾根が退職した際には直ちに後任者が決定されず暫く空席の儘であり従つて麻薬管理者がなかつたために右大島のみが麻薬施用者として若曾根から麻薬の管理を引き継ぎ麻薬施用記録記載の責任者となつたものであるところ、前記のように被告人が昭和二十七年十月頃所長として着任し内科の診療を担当するに至つたのであるが、何故か直ちに麻薬管理者なり麻薬施用者なりの免許を受ける手続をしなかつたため右大島医師が依然被告人退職後新しく医師神山貞二が同年十月以降所長として着任し免許を得て麻薬管理者となりその引継を受けるまで麻薬管理の任に当つたこと、及び右診療所においては麻薬は婦長室の押入の中の金庫に保管し日常調剤施用等のため必要な分は小分けして事務室兼薬局に使用していた部屋の地下室にある小箱の中に入れてあつたのであるが、若曾根所長時代から右診療所においては事実上麻薬の取扱は同人の命により調剤助手の青木幸子(同診療所においては薬剤師が勤務せず同人が正式に届け出て、調剤のことに当る。)がなし、麻薬取扱者からの指示によりいわゆる麻薬処方箋により取り扱い出し入れをしており大島医師が麻薬の管理をするようになつてからも大体同様の方法によつたものであり、右金庫の鍵は同人において保管し、右地下室の鍵は右青木が出勤する毎に右大島医師から受け取り退出する際には同人に返還する(事実上はその机の中から取り出し退出の際に再び同所に返しておく)方法によつていたが、被告人が着任してからは被告人が大島に代つて右地下室の鍵を保管していたことを窺い知ることができる。これによれば、右青木が事実上麻薬を取り扱い保持していたことは洵に所論のとおりであるが、右取扱保持者である若曾根医師なり大島医師の命によりその補助者としてこれをしていたものと認められ、右若曾根医師、大島医師は依然その管理の責務上その麻薬に対する占有を喪失してはいないものといわなければならない。そしてその管理については多少法規の定むる厳重な取扱を怠つていたような事跡が窺われないでもないが、この事柄は同人等に対し別個の観点からその責を問われる事由とはなつても、その占有保管の権限及び事実に消長を来すべきものではないのである。次に被告人の診療所長としての冒頭に掲げた権限と右大島医師の麻薬の管理に関する権限との関係については、特に麻薬に関しては厳格な取扱を規定しその取扱者を免許に係らしめ麻薬の施用その他逐一詳細な使途を記録せしめあくまでもその行方を追及する方策が採られている点等にかんがみるときは、医療法上前記の如き権限の認められる診療所長であつても、その者が麻薬取扱者の免許を受けておらず他に免許を受けた麻薬取扱者が存在するかぎり、麻薬に対する管理権は排除せられ、専ら優先的に麻薬取扱者がその管理権を有しているものと解するのが相当と思料されるのである。従つて、本件麻薬が右診療所の所有に属し同所に存在した以上、その現実の所持者が青木幸子であると否とにかかわりなくその占有保管の権限と責任は所長たる被告人にはなく麻薬施用者として麻薬を管理していた医師大島利三にあつたものと認めざるを得ない。

次に窃盗罪が成立するためには不法領得の意思をもつて他人の財物の占有を侵し、自己又は第三者の占有に移すことが必要であること勿論であつて、ここに不法領得の意思とは、権利者を排除して他人の財物を自己の所有物の如く経済的法律的に利用又は処分しようとする意思をいうのであることも多言を要しないところである。論旨は、被告人は本件麻薬の処分についてこのような不法領得の意思がなかつた旨極力主張するのであるが原判決挙示の証拠によれば、被告人は自ら或は看護婦を通じて麻薬処方箋によらず、口頭で被告人が所長であり当然麻薬管理者或は麻薬施用者たる麻薬取扱者であると誤信している前記青木幸子に対し被告人の弟が喘息で苦しんでいるという口実で麻薬である本件塩酸モルヒネを原判示のように取り出させた上法規に違反すること及び自分が麻薬取扱者でないことを知悉しながら所定の手続を経ないで自己の不眠症治療乃至は中毒症状緩和のため施用したものであることが明瞭であるから、被告人はまさしく他人の財物を自己の所有物と同様に処分権限を有する者でなければできないような麻薬の処分をする目的、すなわち不法領得の意思をもつて前記青木を通じて有する大島医師の占有を奪つたものであると認めることができるが故に、被告人の所為は原判示のように窃盗罪の成立をみることまことに明らかである。

右認定に反し被告人に不法領得の意思なしというためには、前記のような自己に服用する口実として弟の喘息治療のためとか証拠上明らかな後日の発覚に備えて本件麻薬を取り出し代りにオイヒニンの粉末を容れ表面を糊塗していた事実を如何に説明すべきであるか理解し難いところである。

次に一般の病院、診療所等においてそこに勤務する医師始め職員が薬局にある薬品を自ら病気治療等のため勝手に使用することは慣例として黙認されており、本件診療所においても亦同様であり、被告人の本件行為も同様窃盗をもつて目すべきものではないと主張するのであるけれども、原判決が適切に判示しているとおり風邪その他の微恙によつて診療所備付の薬品を服用するような場合にその代金を徴収しなかつたという事実の存在は本件証拠上認め得るのであるが、麻薬のようなその管理施用が厳重に取り締まられている薬品等を長期間相当量(従つて相当高価)を無償無断で使用するようなことを許容している慣例等の存在は認め難く、かりに、このような慣例があるとすれば、それ自体違法不当なものであるから、この主張によつて被告人の罪責を免れしめる理由とすることを得ない。

次に窃盗罪は、いわゆる状態犯であつて既遂に達した後もその違法の状態は継続するのであるから、その犯人が窃盗によつて得た賍物をその儘事実上利用又は処分する行為は別罪を構成しないのであるが、その利用又は処分行為等が更に新な法益を侵害するときは他の犯罪を構成するものであり本件における如く窃取した麻薬を事後正当の事由なく所持する場合には麻薬取締法違反の罪の成立を免れないことは既に最高裁判所の判例の示すとおりである。(第二小法廷昭和二十四年三月五日判決、判例集第三巻第三号二六三頁参照)尤も、ここに所持とは相当時間的に持続した観念であつて、本件において原判決が「窃取した麻薬を服用するまで所持し」と判示しているのはこの意味を現わしているものであり、この時間的に相当持続している事実は、本件証拠上肯認できるのであるから、この点についても原判決に過誤は存しない。所論は、窃盗の成立しないことを前提として麻薬不法所持の罪の成立を否定する如くであるが、前叙の如く窃盗の罪の成立を免れない本件においてはこの所論は前提を欠き適切ではない。

これを要するに、原判示各犯罪事実は、その挙示する証拠によつて優にこれを肯認することができ、記録を精査検討するも右事実認定に何らの過誤なきは勿論その法律の適用についても何らの違法あるを認め難い。

それ故論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 渡辺辰吉 判事 江碕太郎)

弁護人徳岡一男同迫水久常共義の控訴趣意

第一点原判決は事実の誤認並に法令の適用に誤があり、その誤認若しくは誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである故これを破棄すべきものである。

原判決は「罪となるべき事実」として「被告人は医学博士の学位を有し昭和二十七年十月三日頃より同二十八年二月二十六日頃まで栃木県下都賀郡間々田町所在栃本県農業協同組合連合会下都賀病院間々田診療所長として同診療所に勤務していたものであるが、かつて昭和二十六年夏頃モルヒネ中毒に罹つたことがあり、右診療所に勤務後一ケ月位して不眠症に陥り塩酸モルヒネを使用したのが病みつきとなり、再びモルヒネの使用を覚え、同診療所に在るモルヒネを服用せんことを企て、第一、昭和二十七年十一月九日頃より同年十二月二十四日頃までの間、前記間々田診療所において、別表記載の如く、前後十四回に亘り、継続して、同診療所における麻薬の管理をしていた麻薬施用者大島利三保管に係るモルヒネ(塩酸モルヒネ)合計十三瓦位を、情を知らない同所薬剤助手青木幸子をして取出させて、これを窃取し、第二、麻薬取扱者でなく法定の除外事由がないのに係らず、右第一記載の日時場所において、同記載の如く前後十四回に亘り右窃取した麻薬(塩酸モルヒネ)を同所において服用するまでの間各これを所持したものである」〔別表省略〕、と認定し、「法令の適用」として、第一の所為につき刑法第二三五条、第二の所為につき旧麻薬取締法(昭和二三年法第一二三号)第五七条第三条第一項、罰金等臨時措置法第二条、麻薬取締法(昭和二八年法第一四号)附則第一六項を適用し、第二の所為についての所定刑中懲役刑を選択し、右両所為を併合罪として刑法第四七条第十条に従い重い窃盗罪の刑に法定の加重をなして被告人を処断したものである。

第一、然し乍ら被告人が昭和二十七年十月三日頃から昭和二十八年二月二十六日頃迄の間前記間々田診療所に所長として勤務していたこと、その間即ち昭和二十七年十一月九日頃から同年十二月二十四日頃迄の間に、前後十四回に亘つて、同診療所の麻薬(塩酸モルヒネ)合計十三瓦位を自ら服用したことは原判決挙示の証拠によつてこれを認め得られるが、同期間中右診療所において麻薬の管理を担当していたのは麻薬施用者大島利三であるとの認定は誤認である。同診療所の麻薬は実際上も法規の上からも被告人の保管に係るものと認定するべきであると思考する。然らずとするも尠くとも被告人に本件麻薬を窃取する意思がなかつたことは諸般の点から十分これを認め得るのである。また判示第二の所為についても、被告人が自ら服用した以上「服用するまでの間各これを所持し」たとの認定は一応正当のようであるが、後記の如く、被告人の当時の麻薬乃至麻薬取扱者に対する観念、前記診療所における実際上の麻薬取扱についての被告人の立場等から推測する場合には、被告人に不法所持の意思がなかつたものと思考されるのである。以下順次これを論証する。

第二、間々田診療所所長若曾根玄輝は昭和二十七年三月退職し、同診療所は医師としては産婦人科並外科担当の医師大島利三の一名となつたのである。而して若曾根所長在任中は同人が麻薬の管理者であつたが退職後昭和二十七年十月初被告人が所長として赴任する迄、所長は勿論「麻薬の管理者」が欠員であつたので「麻薬施用者」の免許を得ていた大島医師が後任所長(内科の医師)の着任まで臨時に麻薬の保管を引受け形式的に麻薬の管理者となつていたが其の間において事実上麻薬の保管をしていたのは調剤助手青木幸子であつて大島医師は診療所における麻薬の実際的保管は総て青木調剤助手に委かせていたのである。被告人が所長として赴任するや同診療所の麻薬の保管は後記の如く法規上は当然被告人に移つたと解すべきであるが、実際上も大島医師若しくは青木調剤助手を離れ被告人に移つていたのである。もつとも青木調剤助手は被告人着任後も右診療所における麻薬の事実上の管理をしているが、これは被告人の部下としての行為であつて被告人が事実上管理していたことに少しも影響はない。尠くも大島医師が同診療所の麻薬を管理していたのでないことは証人青木幸子(第四回公判、九二頁第五回公判、一三二頁)、同神山貞二(第五回公判、一五二頁)同大島利三(第三回公判、五三頁、特に同証人に対する昭和三〇年三月一五日附尋問調書)、同栗田スミ(第一〇回公判、二八九頁)同小林英一(第一五回公判、六四〇頁)並被告人の公判供述で明白である。

これらの証拠のうち重要なる部分を摘録すれば次の如くである。

(イ) 青木幸子の証言(九二頁)

「自分は昭和二十五年五月から間々田診療所に勤務し調剤助手等をやつていた、麻薬の書いてある処方箋が来た場合自分がそれを出していた、麻薬は婦長の部屋の戸棚の中の金庫にあつた、金庫の鍵は若曾根所長が持つていた、診療所には普通薬の鍵と麻薬の方は小出にしてあるのを薬局の地下室に貧弱な木の箱に入れておいたのでその箱の鍵もあつた、大島先生は麻薬をみたことはないと思う、検査したこともない、若曾根先生がやめて本院(下都賀病院)から先生が出張診療した時は処方箋と麻薬施用記録が私のところへ廻り大島先生の知らないうちに出した」(要旨)。

(ロ) 同人の証言(一三二頁)

「間々田診療所では麻薬を婦長室の金庫に保管しておき小出にした物は木箱に入れて地下室に入れておいたことは相違ない、被告人が診療所に勤務していた頃もその様にしていた、当時地下室に塩酸モルヒネは五瓦瓶一本おいてあつた、金庫から地下室へ麻薬を移すのは自分で大島先生には断らない、使う場合自分が地下室から調剤台へ持つて来て調剤した、木箱の鍵は昼間は自分がいて帰るとき大島先生に渡して帰るようにした、なお被告人が赴任してから一ケ月位の間は同人に渡して帰つた、一ケ月後から大島先生にその鍵を渡すようになり、最初の頃は手渡していたが、そのうち大島先生が僕の机の抽斗に入れていつてくれというのでずつと机の抽斗に入れて帰り、朝出勤すると自分が机の抽斗から出していた、自分は本件の塩酸モルヒネを被告人に渡したがそれは看護婦や被告人から口頭でいわれたのである、自分は所長が言うのであるから大島先生の承諾はなくてもよいと思つて出した、今までは内科からでも大島先生の許可なしに出していた」(要旨)。

(ハ) 証人神山貞二の証言(一五二頁)

「大島先生は間々田診療所の麻薬のことは青木に全部任かせていた、麻薬金庫の鍵、麻薬の出入、調剤等全部を青木に任かせていた、青木に出してくれと言えば青木は自由に出していた。従つて大島先生は麻薬のことは判らなかつた。同人は帳簿だけ記載していて現物の管理は青木がやつていた」(要旨)。

(ニ) 証人大島利三の証言、(三六六頁)

「間々田診療所では昭和二十七年十月以前から麻薬は婦長室の押入の中の金庫に保管し、その外事務室兼薬局に使つていた部屋の地下室に鍵がかかつて持ち運びの出来ない木の小箱があり、その木箱に燐酸コデイン百倍散等を入れておいた、塩酸モルヒネは日常使うものは地下室の木箱に入れておいたということもあるか知らぬか青木がやつていたので自分はよく判らない、金庫の鍵は麻薬を使う場合だけ青木に渡したが内科で盛んに麻薬を使う時は青木に鍵を渡しておいた、鍵は青木が持つている場合の方が多かつた自分は前回の証人の時麻薬管理者とか責任者と述べたが自分としては法規上の責任者という趣旨で述べたので現実に麻薬の保管、管理までやつていたという趣旨ではない」(要旨)

(ホ) 証人栗田スミの証言(三八九自)

「自分は間々田診療所の内科の看護婦であつたが、被告人から塩酸モルヒネを水溶液にしてくれと頼まれた頃麻薬を出すのは青木にいえばよかつた、大島先生に言いにいつたことはない、大島先生は麻薬管理者であることを知つていたが同人は実際の出入はしていなかつた」、(要旨)。

(ヘ) 証人小林英一の証言(六四〇頁)

「本院(下都賀病院)で薬品等を購入して分院(間々田診療所)に送付した場合その薬品等の管理者は分院長である、麻薬等についても同様である、麻薬管理者というのは麻薬施用者が処方箋を持つて来る時、その麻薬の出入れをする場合だけの管理で管理の全責任は分院長にある、麻薬管理者は麻薬取締法上の菅理、監督だけで病院のものとしては分院長にある、間々田診療所で塩酸モルヒネが不足したことがあるがその塩酸モルヒネは被告人の前任者若曾根医師の買入たものと考える」(要旨)。

(ト) 被告人の供述(四〇六・四六二頁)

「間々田診療所長として自分が診療所の一般薬品とか器具の管理、保管の責任者であつた、麻薬については名義人たる大島医師が麻薬関係の報告等やつていたが実際の菅理は青木幸子がやつていた、麻薬については特別に扱うよう規定された法規があり麻薬施用者同管理者が扱うことになつているので処理上の責任は大島医師にあつたと思うが実際は青木幸子がやつていた、青木の監督、指導の権限は所長たる自分にあつた」、「自分は青木幸子がモルヒネも他の薬品と同様事実上保管していたので同人に話せば従来と同様出して貰えるものと思つて青木に話して出して賃つた」(要旨)。

第三、間々田診療所は栃木県農業協同組合連合会厚生連合会(以下単に組合と略称する)が医療法によつて知事の許可を得て開設した診療所である、従つて同法の規定によつて医師をして管理させなければならぬことは当然である(一〇条)、而して前記の如く被告人が同診療所の所長として就任した以上被告人は右医療法に基き同診療所の管理者となり開設者たる組合に代行して直接管理者として医療法に規定する各種の職務権限を有するに至つたのである、即ち被告人は右診療所に勤務する大島医師青木薬麻助手その他従業者等を監督する任務と権限を持ち(一五条)、右診療所の構造設備医薬品その他の物品等を保管する職務権限を有していたのである(一七条並医療法施行規則一四条、一五条)。

以上の如く本件麻薬は前記組合の所有物である他の右診療所の建物、医療機械、器具等の一切の設備並他の薬品物品と共に医療法の規則によつて診療所の管理者である被告人が所有者たる開設者に代行して保管していたと認めることが相当である。

あるいは被告人が医療法に従つて右診療所の管理者であるとしても、被告人は公判廷で自供する如く麻薬法に規定する「麻薬管理者」又は「施用者」の免許を得ていないのに反して、大島医師は「麻薬施用者」の免許を受けていたのである故、間々田診療所における麻薬の保管については被告人の保管するものでなく大島医師において保管するという見解も考えられるのであるけれども此の見解は麻薬法上の「管理者」または「施用者」と医療法上の管理者との性格を混同した謬見である、前段説明の如く医療決は診療所の管理者の医薬品の保管に関して「診療所の管理者が医薬品の管理につき遵守すべき事項については省令でこれを定める」と規定し(一七条)、同法施行規則は「診療所の管理者はその病院又は診療所に存する医薬品及び用具につき薬事法の規定に違反しないよう必要な注意をしなければならない」(施行規則一四条)と規定しているし、医療法においても、薬事法においても、特に麻薬の保管について診療所の管理者の職務権限を制限する旨の規定を設けていない故、麻薬法が麻薬について特に「麻薬管理者」についての規定を設けたとしても診療所の管理者としての麻薬を含めた全部の医薬品の保管に関する職務権限は剥奪されないものと思考する、況んや大島医師は「麻薬管理者」でなく「麻薬施行者」に過ぎない、もつとも麻薬法第二条(旧麻薬取締法以下同様)に依れば「麻薬施用者」は同法に所謂「麻薬取扱者」であり同法第一四条第一項によれば「麻薬取扱者」は帳簿記入の任務を負担していると解釈されるが、それは同法条所定の事項についての帳簿記入義務があるだけで常時麻薬を保管する権限を持つものと考えられないのである。

斯くの如き次第である故、被告人が「麻薬管理者」の免許を受けて居らず、大島医師が「麻薬施用者」の免許を受けていても、間々田診療所においては、被告人が本件麻薬の保管者であると認むるのが相当と思考するのである。(なお、この点の論旨については原審山崎弁護人の弁論要旨特にその二〇頁裏末行-三二頁表四行を御参照願いたい。)

第四、仮に本件塩酸モルヒネが被告人の保管する物品でなく被告人以外の人の占有に属していたとしても被告人に窃取の意思を認めた原判決は甚だしい誤認である。被告人並にその縁者は刑罰の結果はともあれ斯かる罪名について御処罰をうくることに極度の不満を感じているのである。それは別として証拠上からも原判決の右認定は正当でないと考えられるのである。即ち、

一、被告人は間々田診療所に赴任し内科を担当していたのであるが、同診療所においては以前から「麻薬施用者」大島医師だけでなく他の医師も自由に麻薬を薬局より取出し使用していたため被告人はこれに従い窃取の意思なく薬剤助手青木に命じて取出していたのである。勿論これを自己が服用したことは客観的には非難さるべきであるが後記の如き当時の被告人の境遇を御賢察下さつた上被告人の真意を御検討願いたい。また同診療所において被告人は当然内科医師として麻薬を使用していたが、この場合「麻薬施用者」大島医師から一々許可をうけていなかつたので被告人は同診療所においては「麻薬施用者」と同様なる地位にいたと思えるし、若しくはその点に関する被告人の認識に錯誤があつて右事実を誤認していたと認むることが相当と考えられるのである。

右の点の証拠、

(イ)第一に摘録せる各証拠、

(ロ)証人青木幸子の証言(九二頁、一三二頁)

「若曾根先生がやめて本院から先生が出張診療した時は処方箋と麻薬施用記録が廻つて来た、麻薬は大島先生の知らないうちに出した、燐酸コデインの場合は処方箋で出すが他の麻薬である注射薬等は口頭で出していた」(要旨)。

「間々田診療所で薬を出す時、医師とか看護婦から口頭で言われて出す場合があつた、口頭の時は何も控えなかつた、麻薬の時は自分で補助簿を作つておいて之に控えた、本件塩酸モルヒネを出したがそれは看護婦や森口から口頭で言われたのである、森口に出す時全部麻薬施用記録に控えた」(要旨)。

(ハ)被告人の供述(四〇六頁)

「内科では咳止にコデインを非常に使用するが、自分が「麻薬施用者」でないからといつてこれを使用しないと支障があるので自分はカルテに麻薬の処方を記入し、それを看護婦が処方箋に写して、その処方箋を薬局に出すと薬局では出してくれた、大島医師の承認を得るということは考えていなかつた、自分は当然管理者となるものと考え、また医師であるから差支えないと思つてやつていた」(要旨)。

二、さちに、社会に無数に存在するほとんど総ての病院、診療所においては、医師が薬局にある薬品を、医師自身のため(勿論病気治療)自由に使用させている慣例があるのである。理窟はともかくそれが社会の実情である。この場合医師は病院等にその薬品の代金を払う訳でない。そして医師が経営者に無断で使用したとて右薬品を窃取する意図の下に行つたと認めることは甚だしく社会通念に反すると認定する。間々田診療所もこれら病院診療所の例外でなく却つてかかる場合医局員、医師は無料とする規約さえあつたのである。

右に対する証拠

(イ)証人青木京子の証言(一三二頁)

「間々田診療所の従業員が薬を出して貰つたことがあります、その場合料金は払いません」

(ロ)証人小林英一の証言(六四〇頁)

「病院に勤務の医師が病気になつた場合、例えば自分の診断で薬局から薬を貰うことがあるし又それは自由である、この時正式には処方箋を書くことになつているが、大概は何呉れといつて処方箋を書かずに貰つている様である、麻薬については処方箋を書いて薬局から自由に貰つている、この場合麻薬管理者の承認の必要はない、斯様なことは私の知つている限り何処の病院でもその様に扱つているし間々田診療所でも同様である」(要旨)

(ハ)被告人の供述(八六八頁)

「間々田診療所には同診療所に勤めている人は診療所の薬を自由に服用してもよいという規約をみたことはないが、そういうものがあるということは事務の者からきいている、私は自分で処方して薬剤助手にいいつけていたから、そういうこと――薬品が軽微か否かということ――を考えないでやつた、私は麻薬を他の患者に処方する場合には自分で処方箋を書くと否とに拘らず口頭でいいつけた場合にも、自由に使えると思つていた、自分で使う場合には自分が帳簿上の事務を整理しなければならないから後で適当に整理しておけばいいという気持でいた」(要旨)。

(ニ)証人柳沢信賢の証言(七九七頁)

「自分の関係している柳沢病院では医局員(医師)が病院に備付の薬剤を自分用として用いる場合その料金は貰つていない、自分は新橋病院、済生会病院にもいたことがあるが矢張り料金は貰わない」(要旨)。

(ホ)証人白石謙作の証言(八〇四頁)

「自分は昭和十三年から三井厚生病院(旧名和泉橋慈善病院)の内科部長をなし、昭和二十二年から副院長、昭和三十年四月から院長をしているが、一般病院及診療所で医局員がその備付の薬剤を自分又はその家族用として用いる場合料金はとらないのが普通だと思う、私共の病院ではとつていない、私共の病院に関しては医局員が治療を受ける場合は全面的にただであるということは公然〔当然の誤存か〕の規約の様になつているのである、このような事が終戦時の薬のなかつた時など医局員がどんどん薬を飲むということは困るが、その場合以外は医局員が薬を飲んだからといつて一々帳面に記載して料金をとるということはやつていない、そのようなことをしている病院は少ないと思う、麻薬についての料金については同じことである、但し取扱については診療簿に記載し薬局の方に請求して麻薬を出して貰い使用することとなる」(要旨)。

之を要するに被告人の行為は客観的にも窃盗でないことを認められるしまた右一、二に掲記する事実を綜合して考えると尠くも被告人に全く本件麻薬を窃取する意思がなかつたことは容易にこれを認め得るのである。

第五、原判決の判示第二の所為については、前記の如く被告人が本件塩酸モルヒネを自己の疾病治療の目的で服用しようと考えこれを入手して服用した以上、本来の使用方法からそれているので「服用するまでの間各これを所持し」という認定も一応考えられるのであるが、前段引用した多くの証拠で明白な如く、被告人は間々田診療所にあつては内科医師として自由に患者に麻薬を使用していたのであつて、「麻薬施用者」ではないが「麻薬施用者」たる大島医師の補助者として同診療所においては適法に麻薬を所持し得るとも考えられるのである。元来、本件は若し被告人が「麻薬施用者」であれば麻薬法第三十八条違反として取扱うべき事案と考えるのであつて、これを事件の真相と思考するのである。被告人が「麻薬施用者」でないため殊更麻薬の所持と事実を附合して訴追された原判決もこれを容認したものであると信ずるのである。被告人の本件麻薬使用の手続等に客観的には多少軽卒の点も認められるので弁護人等は飽くまで被告人の全訴追事実について無罪を要請する意思ではないが叙上の論旨について十分御検討を願いたく且つ有罪とするも後段説明の刑の量定における資料として御採用せられたいのである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例